蛭ケ島(ひるがしま)公園に行って来ました。2021年9月

源頼朝が14歳の時に配流されたという、現在の伊豆の国市にある"蛭ケ島(ひるがしま)"。

そこには頼朝の足跡を記念する公園と巨大な石碑がありました。

※蛭ケ島は蛭ヶ小島(ひるがこじま)とも言います。

韮山反射炉から反射炉・富士見ロードを少し北上した田んぼの中に蛭ケ島公園はあります。

まず目印となるのは、公園北側道路沿いにある巨大な石碑です。

倉島延三(くらしまえんぞう)という方が寄贈したもののようなのですが、この倉島さんは三島市のご出身の方で、昭和40年代頃に三島近辺の旧跡に多数の石碑を寄贈していらしたようです。

例えば、三島塚原IC交差点を箱根方面に向かって50mほど登った左側にある"箱根路"の碑や、三嶋大社の神池にある燈篭(とうろう)なども倉島さんの寄贈だそうです。

いつかはこの倉島さんの寄贈物もまとめたいと思いますが、とりあえず話を元に戻して蛭ケ島の話を...。

永暦元年(1160年)、頼朝は14歳の時にこの蛭ヶ島に流されて来たそうです。

...が、そこから打倒平氏の為に挙兵した治承四年(1180年)までの20年間、どこに住んでいたのかハッキリしていないのだそうです。

(詳しい説明は以下の写真に記載されています。ご参照下さい。)

ま、まぁ少なくとも配流されたことは間違い無さそうなので、この蛭ヶ島で頼朝は青年期を過ごしたということにしておきましょう!

そう考えると、この蛭ケ島公園にある頼朝と北条政子の像が感慨深いんですよね~。

この像、狙い澄ました角度で立っているんですよ。こんな感じで。

頼朝と北条政子の像1

富士山に向かって立つ二人が、その先に成し遂げようとしているものを見据えているかのようで、とっても良い感じです。

ちなみに前から見るとこんな感じ。

二人ともふっくらとした優しい顔立ちで、とっても好感が持てます。

2022年1月から放送予定のNHK大河ドラマ、"鎌倉殿の13人"の舞台でもある伊豆。

頼朝や政子、北条家に関する名所・旧跡は多数あるので、色々なところを巡って大河ドラマの予備知識を深めておきたいと思います。

追記:

公園内には"伊豆の国市歴史民俗資料館"があったのですが、このご時世なので休館中でした。

もし開館時に伺うことができたら、蛭ケ島のお話を色々聞いてみたいと思います。

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