源氏と島津氏ゆかりのお寺、函南町高源寺のお話 2022年10月

すごいお話を聞いて来ました。

函南に源頼朝にまつわるお寺があります。

それが宝船山高源寺(こうげんじ)です。

函南駅からまっすぐ山に向かって登って行くと、古い苔むした石段が見えてきます。

そこが宝船山高源寺でした。

駐車場に車を停め、本堂にお参りしようかと思ったら、可愛い猫ちゃん達が迎えてくれました。

ひとしきり猫達と遊んだ後、本堂にお参り。

その後、カミさんが御朱印を頂きに社務所へ行っている間に少し境内を散策。

悠久の歴史を感じる石段、鐘楼、山門。

そして参道の横にひっそりと佇む比企尼(ひきのあま)の供養塔...。

「頼朝ゆかりのお寺と聞いていましたので、こういったものもあるんだなぁ...。」

そんなことを思っていたら、御朱印を書き終えて下さった御住職から

"頼朝から現代まで"

を繋ぐ壮大な歴史浪漫のお話を伺いました。

高源寺の名前の由来

まず、"高源寺"という名前の由来について伺いました。

高源寺はもともと"長久寺"という名前で空海が創建したと伝えられているのですが、頼朝の存命中に火事で全焼してしまい、その再興資金を全て頼朝が提供し、お寺の名前に"源"の一字を与え、高源寺という名前になったのだそうです。

通常、寺院を再興する場合、多くの人から資金を募ったりするものなのだそうですが、なぜ高源寺再興は頼朝1人で資金を出したのでしょう?

それは、頼朝がこのお寺を厚遇する理由があったからです。

頼朝が自由になれる場所だった

伊豆の蛭ケ島に配流されていた頃、常に平家の監視下にあった頼朝。

でも、この高源寺に来た時だけは平家の従者を山門に待たせることができたのだそうです。

そのため、高源寺は頼朝が自由に活動できる数少ない場所だったそうで、ここで当時の伊豆の目代、山木兼隆を討ち取る為の話し合いをしたり、比企尼の長女で頼朝の従者安達盛長の妻である丹後局(たんごのつぼね)との密通の場所として使われていたそうです。

そんな恩義のあるお寺だから頼朝も大事にしたのでしょうね。

島津氏との関係

そしてさらに驚くお話がここからです。

丹後局は頼朝の子供を身籠もり、その事を知った頼朝の妻、北条政子が激怒した為、丹後局は摂津国の住吉大社まで逃げ延び、そこで男児を出産します。

その子は"島津"という姓を名乗り、後の薩摩島津氏の祖となる島津忠久となったというのです。

そして近年、島津家の島津久永さんと奥様の貴子さん(貴子内親王)が高源寺に参拝された事があり、ご住職がお話を伺った際には、

「我々島津のものは、今でも頼朝公を祖として崇めています。」

という言葉を頂いたそうです。

数百年に渡る壮大な歴史浪漫に触れた気がして、とても感動しました。

まだ行かれたことのない方は、是非参拝される事をオススメします!

日本、〒419-0101 静岡県田方郡函南町桑原1265

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