源頼朝の弟、阿野全成ゆかりのお寺

沼津市井出にある曹洞宗士詠山大泉寺(だいせんじ)。

このお寺は、鎌倉時代にこの地を治めていた阿野全成(あのぜんじょう)の館の一角にあった持仏堂が始まりとされており、阿野全成のお墓があります。

阿野全成は、源頼朝の弟で当時の駿河国阿野荘(現在の沼津市付近)を治めていた人です。

そして、頼朝の死後、全成の妻である阿波局(あわのつぼね)が乳母を務めた頼朝の次男源実朝(みなもとのさねとも)を擁立し、義父北条時政(ほうじょうときまさ)と共に源頼家(みなもとのよりいえ)と対立しましたが、争いに敗れ、常陸国(現在の茨城県付近)に配流されたのち誅殺されました。

茨城県で亡くなったのになんで沼津にお墓があるのって思いますよね?

実は、全成の死後、首だけが沼津に飛んで来たという伝説があるんだそうです...。

この話って何かの話と似ていませんか?

歴史好きな方ならお気づきかと思います。

そう、平将門のお話とそっくりなんです。

鎌倉時代の人も将門のお話を知っていて、それに準えて(なぞらえて)"飛んで来た"ということにしたのかもしれませんね。

ちなみに全成の首は腐らないよう樽に酒漬けにされたものが沼津にあった松に掛けられていたそうです。

その首がかけられていた松の輪切りが大泉寺の社務所の玄関に飾られています。

きっと全成に縁のある方が常陸国から持ち帰って松に掛け、

「全成様がお戻りになられた!」

と言って皆んなで喜んだのでしょうね。

歴史の面白さを感じる後日談

さらに!全成絡みの後日談で凄いものがあります。

全成の娘は公家の藤原公佐に嫁ぎ、その子実直は母方の姓"阿野"を名乗りました。

そして実直の子孫にあたる阿野廉子(あのれんし)後醍醐天皇の寵愛を受け、のちの後村上天皇を産んでいます。

この後醍醐天皇こそ、元弘の乱で鎌倉幕府を打倒した人なので、阿野家の鎌倉に対する復讐が200年越しで果たされたとも言えるのではないでしょうか?

なんとも壮大なお話ですが、こういうお話を聞くと歴史って本当に面白いなぁと思います。

大泉寺 詳細情報

〒410-0319 静岡県沼津市井出744

駐車場は山門前とお寺南東側にあります。

公式HP:http://daisenji.com/

大泉寺Facebook:https://m.facebook.com/idenodaisenji