令和4年の三谷幸喜脚本NHK大河ドラマ

鎌倉殿の13人

このドラマの主人公である北条義時(ほうじょう よしとき)は、現在の静岡県の伊豆地方出身の武将です。

その為、静岡県東部にはこのドラマに関連する史跡が多数あります。

それらのうち、管理人家族が訪問したところを地図にまとめてみます。

鎌倉殿の13人 史跡巡りMAP

毘沙門堂や珍場神社などは、地元の人でもなかなか行かないマニアックなスポットかと思います。

このページをご覧の皆様のご参考になれば幸いです。

源頼朝の命により建立されたお堂。文覚上人ゆかりの地でもある。

お堂には毘沙門天が安置され、50年に一度御開帳されます。

〒410-2132
静岡県伊豆の国市

正式名称:八幡神社(やはたじんじゃ)

源頼朝と義経が対面したという場所で、その時二人が腰かけた石が”対面石”として残っている。

〒411-0906
静岡県駿東郡清水町八幡39

源頼朝が源氏再興を祈願して挙兵した場所とされる。

〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家1204−1

鎌倉幕府を立ち上げた源頼朝の妻、北条政子の産湯の水を取ったのがこの井戸とされる。

〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家23−1

鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所。

〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家13

曹洞宗の寺。寺宝の謂れがとても面白い。

曽我物語で有名な曽我兄弟の兄、曽我十郎助成(そがじゅうろうすけなり)の妻虎御前(とらごぜん)が大磯(神奈川県)の海岸で拾った石の薬師像を、曽我兄弟を祀っている鷹岡の福泉寺(現在の曽我寺)に届けようと頼んだところ、頼まれた人が間違えて柳島の福泉寺に届けてしまい、その薬師像は現在も柳島の福泉寺にあります。

〒416-0932
静岡県富士市柳島41

父の仇である工藤祐経(くどう すけつね)を富士の巻狩りの際に誅殺した曽我十郎助成(そがじゅうろうすけなり)と五郎時致(ごろうときむね)の”曽我兄弟”。

彼らの墓が境内に祀られているのが、この曽我寺(鷹岳山福泉寺)です。

〒419-0202
静岡県富士市久沢229

曽我物語で有名な曽我兄弟、曽我祐成(そが すけなり)と曽我時致(そが ときむね)、そしてその父である河津三郎が祀られている。

〒413-0515
静岡県賀茂郡河津町谷津375

源頼朝の家臣、加藤景廉一族の墓。

加藤景廉は、北条時政の命により比企能員を暗殺した仁田忠常を抹殺した人。

三嶋大社には、加藤景廉が頼朝から刀をもらっている絵があるらしい。

〒410-2401
静岡県伊豆市牧之郷53−35

伊豆国一宮。

源頼朝が深く崇敬し、源氏再興を祈願したところとして有名。

伊豆山神社と同じくここにも頼朝と政子の腰掛石がある。

毎年8月17日に行われる頼朝旗揚げ行列では、著名な俳優の方々が頼朝役を務めることで有名。

ちなみに令和4年の頼朝役は、大河ドラマ鎌倉殿の13人で頼朝公を演じた大泉洋さん。

〒411-0035
静岡県三島市大宮町2-1-5

頼家が修善寺に配流されたのち、謀反を企てた際、挙兵前に発覚し殺害されており、その際頼家に仕えていた家臣13人のお墓がこの十三士の墓と伝えられている。

〒410-2416
静岡県伊豆市

源頼朝の跡を継ぎ、鎌倉幕府二代目将軍となった源頼家のお墓。

実の祖父北条時政(ほうじょうときまさ)に暗殺されたという。(享年23歳)

〒410-2416
静岡県伊豆市修善寺935

鎌倉幕府第二代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)の冥福を祈り、母北条政子(ほうじょうまさこ)が建立したとされる伊豆最古の木造建築。

ご本尊の釈迦如来座像が目の前で見られる。

〒410-2416
静岡県伊豆市

頼朝の弟、源範頼(蒲殿・かばどの)の墓。

〒410-2416
静岡県伊豆市修善寺1082

曹洞宗の寺。

鎌倉時代にこの地を治めていた阿野全成(あのぜんじょう)の館の一角にあった持仏堂が始まりとされており、境内には阿野全成のお墓がある。

〒410-0319
静岡県沼津市井出744

大河ドラマでも政子たちが身を隠した場所として出てきた神社。

頼朝と政子が語らったといわれる腰掛石があるなど、鎌倉殿の13人とゆかりの深い神社である。

境内には伊豆山郷土資料館もあります。

〒413-0002
静岡県熱海市伊豆山708−1

伊東市役所の隣にある伊東家館跡と伝えられる公園。

伊藤祐親の銅像が建っています。

〒414-0046
静岡県伊東市大原2丁目80−1

伊東祐親の墓所と伝えられる石塔などがある。

祐親の方は”伝”だが、確実なものとして浩宮徳仁親王(ひろのみやなるひとしんのう、のちに令和天皇になられる方)が訪れた記念碑が建てられている。

伊豆の東北部はその昔"葛見庄(くずみのしょう)"と言われていたそうで、そこから名前を取って葛見神社と言うのだそうです。

葛見神社は千年以上の歴史があり、代々伊東家の保護を受けていたとのことです。

神社の近くには伊東祐親(いとうすけちか)の墓と伝えられているものもあり、その繋がりの深さを感じます。

〒414-0033
静岡県伊東市馬場町1丁目16−40

臨済宗円覚寺派の寺。

後白河天皇の第三皇子、以仁王の要請に応え、平家打倒のため挙兵したが敗れた源頼政(みなもとのよりまさ)とその妻菖蒲御前(あやめごぜん)を祀った頼政堂があります。

〒410-0232
静岡県沼津市西浦河内396−2

この神社で頼朝八重姫は逢瀬を重ねたといわれており、やがて二人の間に千鶴丸という男の子が生まれています。

ただ、この千鶴丸は平家に恩があった八重姫の父であり千鶴丸の祖父、伊東祐親(いとうすけちか)によって神社裏手の松川の上流、稚児が淵に沈められたそうです。

〒414-0032
静岡県伊東市音無町1−13

病気を理由に将軍職を退いた鎌倉幕府二代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)は、修善寺で静養していたが、病状が悪化し、それを頼家の母である北条政子に伝えるため、頼家の顔を面に刻み、使者が鎌倉へ運ぼうとしたが、あとから来た別の使者から頼家の訃報を知らされたため、使者は面を光照寺に納め、修善寺に引き返した。

光照寺パンフレットより抜粋

〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家30−1

千代田団地公園から北西100mほどの住宅街に、かつて千葉寺という寺があり、「寺洞(てらぼら)」という地名も残っていたそうです。千葉寺は北条義時の子、安千代が勉学のため通った寺と伝えられています。

元久元年(1204)に北条義時が大蛇に襲われて亡くなった長男安千代の死を嘆き、若宮八幡神として祀ったのがはじまりと伝えられています。

〒410-2223
静岡県伊豆の国市北江間

平安時代の「延喜式」神名帳に記されている岩徳高(いわとこたけ)神社に該当する由緒正しい神社。

江戸時代(元文五年=1740年)に書かれたとされる神社の梁銘(はりめい。梁にかけられた棟札)には、「相模守であった江間小次郎義時(北条義時)が小池堀丸山の霊廟をこの地に移し再建した」との記述があるそうです。

〒410-2223
静岡県伊豆の国市北江間3

 

北条義時の館跡とされているが、まだ確たる証拠はないとのこと。

公園の片隅にはとても珍しい”人工物の天然記念物”である1930年北伊豆地震の時にできた擦痕が展示されています。

〒410-2221
静岡県伊豆の国市南江間768−4

 

平治の乱で敗れた源頼朝が配流された地として有名。

県指定有形文化財「旧上野家住宅」が市歴史民俗資料館として公園内にある。

頼朝と政子の像が富士山の方向を向いて立っており、晴れの日は絶好の撮影スポットとなる。

静岡県伊豆の国市四日町17-1

鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗された寺。

源頼朝との悲恋の末、真珠ヶ淵に入水した伊東祐親の娘、八重姫を祀っています。

〒410-2121
静岡県伊豆の国市中條2

高野山真言宗のお寺。

鎌倉幕府第2代執権北条義時の父、北条時政(ほうじょう ときまさ)が、源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して建てたとされる。寺宝は、運慶作とされる「阿彌陀如来坐像」、「不動明王・矜羯羅童子・制吒迦童子三尊立像」、「毘沙門天立像」があり、すべて国宝に指定されている。境内には北条時政の墓もある。

〒410-2122
静岡県伊豆の国市寺家83-1

しずしら 願成就院訪問記(作成中)

 

臨済宗建長寺派の寺。

鎌倉幕府第2代執権 北条義時(ほうじょうよしとき)が建てたとされる。
境内には義時とその夫人(藤原朝光娘)の墓がある。
寺宝の一つは北条政子が寄進したとされる「牡丹鳥獣文繍帳」。

〒410-2221
静岡県伊豆の国市南江間862−1

しずしら 北條寺訪問記

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