伊豆の国市の広瀬神社は、**延喜式内社(えんぎしきないしゃ)に列せられる由緒ある古社で、古代より「従一位広瀬明神」として神階を賜った格式高い神社である。
主祭神は溝杭姫命(みぞくいひめのみこと)**ほか二柱で、古来より田方地方の総社的存在として篤い信仰を集めてきた。
社伝によると、かつて三島大社は現在の下田・白浜の地からこの広瀬の地に遷座し、さらに後に三島へ遷祀されたと伝えられる。このことからも、広瀬神社が伊豆国における古代祭祀の中心的地位を占めていたことがうかがえる。
戦国末期の天正十八年(1590)、豊臣秀吉による韮山城攻めの際に兵火を受け、社殿はことごとく焼失した。その後、**慶長元年(1596)**に再建され、江戸時代には「深沢明神(ふかさわみょうじん)」として尊崇を集めた。明治以降は「広瀬神社」と改称され、地域の信仰を今に伝えている。
毎年11月3日の例大祭では、「式三番(しきさんば)」と呼ばれる伝統芸能が奉納される。この舞は大仁町(現・伊豆の国市)の指定無形文化財となっており、地域文化の象徴でもある。
境内は自然豊かで、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤ・マキ・スギなどの巨木が立ち並ぶ。さらに、ヒメユズリハ・モクレイシ・トベラといった海浜性の植物も見られ、学術的にも注目される植生環境を有している。
このように、広瀬神社は古代祭祀・戦国の動乱・近世信仰・近代文化財保護といった長い歴史を通じて、伊豆の国地域の信仰と文化を支えてきた社である。
