願成就院の創建と北条氏
願成就院(がんじょうじゅいん)は、静岡県伊豆の国市にある高野山真言宗の古刹です。創建については奈良時代の天平元年(729)にさかのぼる伝承があるものの、確実な史料としては『吾妻鏡』に記録が残る鎌倉時代初期、文治5年(1189)の建立が明らかです。鎌倉幕府初代執権・北条時政が源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝祈願として建立し、その後北条氏の菩提寺として繁栄しました。
境内伽藍は奥州平泉の毛越寺を模した「浄土庭園様式」で、中島のある池を中心に橋を渡って参詣する形式を備えていました。鎌倉時代には二代義時・三代泰時の代まで造営が続き、北条氏権勢の象徴的な寺院となりました。
運慶作の仏像群
文治2年(1186)、北条時政の発願によって名匠・運慶が制作した阿弥陀如来坐像、不動明王像と二童子像、毘沙門天像が安置されました。これらは運慶35歳頃の作品とされ、東日本に現存する最古の運慶作仏像群です。豊かな量感と力強い写実表現に特徴があり、鎌倉彫刻様式を確立する端緒となった革新的な作品群で、いずれも国宝に指定されています。
さらに、毘沙門天像と不動三尊像の胎内からは、文治2年に運慶が造像を始めたことを記した「塔婆形銘札」が発見され、仏像の由来を裏付ける重要資料となっています。
北条政子と政子地蔵
嘉禄元年(1225)に没した尼将軍・北条政子の七回忌にあたり、三代執権北条泰時が寄進した「政子地蔵菩薩像」も当院に伝わります。像高51.5cm、寄木造の精緻な作で、政子の生前の姿を写したとされます。
衰退と再興
繁栄を誇った願成就院も、室町時代末の延徳3年(1491)に足利茶々丸が北条早雲に討たれた際や、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの兵火で堂塔の多くを失い、衰退しました。江戸時代中期には北条氏の末裔・北条氏貞が修復を行い、さらに近代以降、講社の尽力により大御堂が再建され、今日の姿に至ります。
現在、境内一帯は「願成就院跡」として国史跡に指定され、仏像群は国宝として日本彫刻史上大きな意義を有する文化財と評価されています。
